扇子は、ただ暑い日に涼を得るためだけの道具ではありません。舞踊、能、狂言、茶の湯といった日本の伝統芸能で不可欠なアイテムであり、結婚式やお祭りなどの正式な場で使われる様々な種類があります。
扇子が中国から来たと思われがちですが、実は約1200年前の平安時代に日本で生まれたという事実はあまり知られていません。
日本生まれの扇子の歴史と進化
かつて、紙は非常に貴重で、日常的に使うものではなかった時代がありました。その時代には、木や竹を薄く切って作った板が文書記録のために使われていました。これらの板に書かれた文字を集めたものが扇子の原型で、これを「檜扇」と呼びます。
最初は、公式な場での手順を記録したり、和歌を書くために使われており、直接「扇ぐ」ためのものではありませんでした。初期には、無地のものが男性用として使われていましたが、徐々に色や絵柄が施され、女性用の装飾品としても使用されるようになりました。
その後、木や竹の骨組みに紙を貼り付けた「蝙蝠扇」が作られるようになりました。
この扇子は鎌倉時代に中国へ渡り、さらにヨーロッパにも伝わりました。中国で改良された後、日本に再輸入され、現在の扇子の形が確立されました。
もともと貴族や神職など限られた人々だけが使う特別なものでしたが、江戸時代には庶民の間にも広く普及し、今日まで日本の文化的アイテムとして多くの人々に親しまれています。
京都の手仕事、京扇子の魅了する世界
京都で作られる京扇子は、日本の伝統工芸の一つとして広く認知されています。洗練されたデザインと優美な絵柄で知られるこの扇子は、贈り物や記念品としても非常に人気があります。
京扇子の歴史は、平安時代にまで遡ります。その当時使われていた木製の筆記具である木簡が、京扇子の起源とされています。初めは主に貴族の間で使用され、一般の人々にはほとんど手に入らないものでした。しかし、時間が経つにつれて、これらの扇子は一般にも広まり、現在では日本の扇子市場を大きく支えています。
扇骨製造の要、高島扇骨
扇子を形作る重要な部分である扇骨において、その主要な製造地は滋賀県の高島市安曇川町です。琵琶湖の北西に位置するこの地域では、質の高い竹が豊富にあり、地元の農民たちが扇骨作りを行っています。
この地域で生産される「高島扇骨」は、日本で作られる扇骨の約90%を占めており、製造過程には34の工程があります。これらの工程の大部分は職人の手によって細やかに行われています。京扇子を含む日本の多くの扇子が、高島扇骨の高い品質と職人の技術に支えられています。
扇子の用途とデザインの豊富なバリエーション
扇子はその使用目的やデザインに応じて、さまざまな形態があります。
●紙で作られた扇子
夏扇:涼を得るためや装飾用
舞扇:舞踊時に使用
茶扇:茶道での使用
能扇:能や狂言で使用
香扇:香道で使用
豆扇:人形や装飾品のため
祝儀扇:式典やお祝いの際に使用
有職扇:公式な儀式で使われ、主に皇室や神社、仏閣で用いられる
●木片を用いた扇子
白檀扇:涼み用や装飾用、白檀などの香木で作られる
檜扇:儀式や装飾に使用
布を使った「絹扇」も存在します。
舞踊用の特別なアイテム、舞扇
紙製の扇子でも、用途に応じて特別なデザインが施されています。
特に、舞扇は日本舞踊で欠かせないアイテムです。通常の扇子と同じ素材を用いながらも、舞踊で求められる特有の動作(例えば扇子を挟んで回す、投げるなど)に対応できるよう、耐久性を向上させるための工夫がされています(糸での補強や重要部分への重りの追加など)。
舞扇は練習用、舞台用、子供用など、多様なサイズがあります。色ぼかしや日の丸、金銀のデザインは特に人気がありますが、舞台用にはさらに鮮やかな色使いのものが選ばれることもあります。さらに、特定の流派の紋や、演じる作品に合わせたデザインの舞扇もあります。
扇子の役割の多様性と魅力
扇子の役割は、単なる涼み道具にとどまりません。特に落語では、扇子が多彩な物に変わり、話に彩りを加えることがよくあります。
例えば、扇子が箸、筆、たばこ、酒器、しゃもじ、刀、釣り竿として使われることがありますし、近年では携帯電話としての役割を果たすこともあります。また、効果音を出すために「トントン」と音を立てるのにも使われます。
このように扇子を使った表現から、その多用途性やさまざまな場面での活用が見て取れます。扇子は日本発祥で、長い歴史を通じて日本だけでなく世界中で愛されてきました。
扇子は日本の大切な文化遺産の一つであり、私たちに扇子への新しい視点を与えてくれます。扇子の深い魅力を改めて発見することができるでしょう。